このすゞろなる物の音に 20051207


「あァ、三味線が帰ってきた。傷付けちゃいまいな」
 あの人は俺の顔を見るなりそう言った。
 ちょっとした小競り合いの喧騒の中、久しぶりに顔を合わせるというのにあの人の口から出るのはそんな言葉で俺は笑うしかない。
「それぁもう。アンタの私物預かって無事に帰らなかったら地獄の底まで呪われそうですから」
「だったら三味を借りたいなんぞ言わなけぁいい」
「良いでは御座らんか。…それとも、唄って下さるか」
「………」
「アンタが唄って下さるなら何も持って行きはしませんさ」
 自分が三味線を借りたのは、もう滅多なことでは彼が三味線で唄を唄わないことを知っているからだ。
 唄を好いていたこの人が唄わなくなった、その意味があの空を莫迦みたいに漂っている連中に分かるか。
「アンタの唄が一等好きで御座るよ」
 あの人は煙管から口を離して少し笑う。
「そう言った奴は皆居なくなった」

このすゞろなる物の音に
   希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。――中原中也「春の夜」











棹音 20051225


 出立前の挨拶を済ませ、河上は高杉の私室を後にした。
 襖の向こうから聞こえる彼の咳はこの寒さが原因ではない。
 知っている。
 あの人の体はもう傷悴しきっている。
 これ以上彼の体に負担を掛けるようなことがあれば、それは確実に彼の命を蝕んでいく。
 あの人にもう剣は持たせられない。恐らく岡田もそう考えているだろう。
 元々丈夫な方ではなかったというし、心身が成長しきらぬうちより最前線の戦場に身を置きしかも背負った負担も大きく足を止めることを許されなかった彼はどうにも健康体と言い難い。
 それがここへきてとうとう限界を迎えたようだった。そんなことは認めたくないのだけれど。
 自分は、彼の元へ集った自分達は彼を失えない、自身が生きる為に。
 河上は少し自分の首を捻った。いつまでも回廊につっ立っているわけにもいかぬ。
「拙者はこれより春雨との交渉に向かうが」
「おや、気付かれたかィ」
 河上からは死角になる回廊の縁に気配を消して立っていた盲の剣士が口の端を上げる気配がする。
「留守中にあの人に剣を持たせるようなことをしてみろ。殺してやる」
 それだけ言うと河上は大股で歩き出していた。
「…それはそれは」
 そうなれば面白いだろうがそんなことは言われるまでもないと今にも告げそうな岡田の声に河上は耳を貸しもしない。

 この自分の剣は全てを壊す為にあるのだけれど、それでも貴方を護る為に振いたいのだと言ったらば貴方は絶望した目で己を見るのだろう。






















―――――――――――――――
まだ万斉の一人称と万斉が高杉のことを何と呼ぶのかが分からなかった時に書いたものなので台詞が少々おかしいかもしれませんが、直さないでおきました。ご了承下さい。
でも「晋助の唄が一等好きで御座るよ」とか言われたら……やっばいなぁ(笑)←何が。