呆れたように吐息と一緒に蓮ニは言って、俺の前に紙切れを数枚並べた。それを横目で見ながら俺は全開にしてある窓の外に視線を移す。空は青くて、ああ本当に溶けてしまいたいと思う。夏が近付いてくるごとに青さは海の色に近くなる。手を伸ばせば波紋が起きそうだ。放課後の会議室はがらんとしていて風通しが良いのが救いだと思った。外では梅雨明けした途端の蒸し暑さに煽られた入道雲が上昇中で、じょうしょう、常勝立海大、なんて応援部の練習が空高く通り過ぎていく。
蓮ニが風に紙を飛ばされないよう手で押さえてこっちを見た。
「精市。」
暑さも感じて無さそうな顔が名前を呼ぶ。俺は渋々、ペンを取り出して溜息を吐いた。
「…だって面倒なんだよ、大会登録書類って…何で大会ごとに書き直すんだ。」
「愚痴を言う間に手を動かすように。」
とん、と紙切れもとい大会登録書類を長い指でさして、蓮ニが淡々と催促する。目を落とせば、細かい空欄が数え切れないほどあって俺は途端に書く気が失せてしまった。一言で今の心情を言うなら、げっそりだ。
「あーあ1年の頃、いきなり本部に殴り込んで自動販売機を設置させた帽子の誰かさんが何とかしてくれないかな…。」
「他力本願は良くない。」
「こんなのより部活行きたいよ。」
「それ書いたらな。」
「蓮ニは、俺専属の秘書とか向いてるんじゃないか?」
「考えておこう。」
俺の冗談に蓮ニが淡く笑みを浮かべた。ここを外よりは涼しく感じるのは、蓮ニの涼しげな雰囲気もあるかもしれない。向かい側の椅子に座り、書く欄と内容をてきぱきと教えてくれる。有能な秘書もいる事だし、観念して片付けるか。俺は頬杖をついて、掛かってこいやァとばかりに書類を睨んだ。
そこまでは良かったんだが、数分後にはもう飽きていた。俺は見た目によらず体育会系で、しかも趣味はガーデニングだから机で黙々っていうのはどうにも性が合わないのだ。埋まった欄はまだ3分の1、といったところで先はまだ長そうだった。ちょっと休憩しよう、と考えて背筋を伸ばす。思いっきり反り返って椅子ごと引っくり返りそうになり、何とか持ちこたえた。
「…あれ?」
今のに何のリアクションも返って来なかった事に違和感を覚えて、蓮ニを見る。少し俯いて、腕を組んで蓮ニは黙っていた。というか、寝ていた(人に働かせておいて何て秘書だと内心思った)。
「……蓮ニー?」
そろそろと名前を呼んでみても、反応しない。人形めいた顔は僅かに眉を寄せていて、起きている時より生きてる感じがするのが不思議だ。少し顔色が悪い気がする。役職についてなくても、蓮ニにはデータ管理から練習メニュウ製作まで任せっきりだ。それでも普段は弱味を見せようとしないのに、よっぽど疲れてるんだろう。それにしても、ぴくりとも動かないな。急に俺は不安になって、ゆっくりと乗り出すと顔に顔を寄せた。
「…幸村、何をしている。」
それを聞き覚えのある低音が遮った。俺は途中で首を曲げて声がした方へ向けて、入り口を風通りを良くする為に開けっ放しにしてた事を思い出した。
「真田こそ何考えたんだ?」
俺が笑って混ぜっ返すと、入口に立っている声の主は眉間の皺を深くした。真田はジャージ姿で大股でこっちに歩いてくると、威嚇するように俺を睨んだ。別に怖かないが、暑苦しい奴が傍にくると体感温度が上がるのが迷惑だ。
「部活の方で何かあったのか。」
「いや。随分長く掛かっているようだから、様子を見に来た。」
そう言って、ちらと蓮ニに視線を走らせる。それだけで蓮ニが眠っているのに気付いたらしく、真田は声のトーンを落とした。
「…たるんどる。」
「そう言うなよ、真田。蓮ニには苦労かけてる。」
俺も声を潜めて言う。真田はじっと蓮ニを見ている。蓮ニは悪い夢でも見てるのか、苦しげな表情を浮かべていた。真田が右手を伸ばしかけて、空中で躊躇うように止める。いつもは自分の物みたいに扱ってる癖に。俺は手を伸ばして蓮ニの前髪に触れる。絹糸に似た髪を撫ぜると、眉間の皺がゆるゆると解けた。
「幸村…。」
「早いもん勝ちだ。」
名残惜しく感じながら手を離して、俺はにやり笑って続けた。
「欲しい物には手を伸ばさないとな。」
真田が黙って鋭い視線を寄越す。見合ったのは一瞬で珍しい事に真田から逸らした。解っている、と呟くのが聴こえた。俺はペンと紙を真田の方に向ける。
「ところで、書類書くの代わってくれないか?」
「断る。」