ひぐらし 20100803


 夜明けの始まる頃、ひぐらしの音で目が覚めた。
 このまま道場へ出てしまおうか判断しあぐねつつ、のろのろと体を起こす。
 表を見やれば木々の重なりが目で追えるかといったようなまだ薄暗さの中、隣家の住人が縁側で涼んでいるのが目に入った。
 蓮二、と声に出そうとしたのにその名前は喉につかえて出てこない。
 彼もまたひぐらしに起こされたのかと思ったが、格子に身を任せて団扇を緩やかに動かしている姿は夜涼を楽しんでいたようにしか見えなかった。
 薄白く浮かび上がる頬や腕首にひぐらしの鳴き声が染み入る様が似合いで、 真田は暫くその様子を黙して眺めた。











君に雪化粧 20110329


「雪だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「精市さむい」
 三月に雪が降ることが無いわけでも無い。
 風を受けて吹きすさぶ大粒の牡丹雪を見て幸村は柳を外へ連れ出した、傘など持たず。
「あはは蓮二きれい」
 柳はマフラーの中に顔をすぼめ幸村のコートにかかる雪を数度はらった。











四葩切るや前髪わるゝ洗髪 20110602


 祖父がどこぞへ出かけた後から雨がひとしきり降ってきたので、傘を持って迎えに行こうか思案していたら玄関から当の祖父の声がした。
 出かけた先は柳の家であったらしい。傘を借りる羽目になったと露払いしながら笑っている。
 何気なしに玄関に出向けば祖父の持つ蛇の目に見覚えがあった。
「お祖父様、傘はどのように借りてきましたか」
「和傘なら最近使っていないのが多いからどれでも、と言われたから開け易そうなものを」
 では混ざってしまっていたのか。
「それは蓮二のです」
「おや」
 そうかと祖父がからから笑う。
「干してから返すが礼儀じゃが、それでは蓮二が困るなぁ!」
 祖父が柳を下の名で呼び捨てにするのが真田は何とも面映い。
「ほれ、返してこい」
「え」
 今から、だとか、この雨の中、だとか言いたかったが祖父の言う通り困るのは蓮二である。家は近いのだし何が不満か。
「コウジツができて良かったんじゃないのゲンイチロー」
「佐助くん!!」
 柳の傘を今手に持っているということに気付いて緊張するのは、柳家の玄関前に立った時だった。











そうび 20110604


 むせ返るような馨香をまとい、幸村は笑顔でバラを抱えてきた。
 それは良いのだが量が尋常ではない。幸村家の庭は淋しいことになってやしないだろうか。
「愛してるぜ!」
 愛とか恋とかそういう言葉は余り好いていないのだが、精市が言うと恰好良いなぁと柳はそんなことばかり考えている。